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筆跡鑑定

筆跡鑑定の歴史

世界の筆跡鑑定の歴史

筆跡研究の源泉は、古代ローマ時代のオクタウィアヌス初代皇帝とされています。

当時のローマ帝国は、共和制の崩壊とともに、野心的な武将が輩出し、公文書の偽造や権利書さらには遺言書などの偽造により、多くの富を手にいれた者が続発したと伝えられています。

そこで初代ローマ皇帝が筆跡の識別を試みた、と示されています。

世界の筆跡鑑定研究の祖

筆跡研究の祖は、イタリア人医師、カミロ・バルディが1662年「筆跡には個人差が存在する」と、論文を発表。この論文が筆跡研究の祖とされています。

しかしその後、約3世紀に渡り筆跡の研究は停滞し進みませんでした。

19世紀に入るとイタリア・フランス・ドイツの警察研究者が「筆者識別」の研究を開始しました。
フランスに残る歴史書には産業革命により偽造契約書、捏造書類が急増したからだとあります。

その頃、ドイツ警察では「ドイツ医学解析法」と「ゲシュタルト心理学解析法」の2面で筆跡の研究が開始されましたが、後者は曖昧さが仇となり消滅してしまいました。

「ドイツ医学解析法」は、筆跡個性とは人の骨格・筋力の運動が主成分となり経験が補足すると、するもで、現在の筆者識別科学の「礎」になっていると考えられています。

世界の科学捜査における筆跡鑑定は「法医学」の一部とされ研究が進められてきました。
(現在も法医学書の個人識別の中に筆跡鑑定が記載されているのは、この理由からです)
計測・分析技術の発展とともに分離され、各国の警察研究者が中心となり最新の筆跡鑑定研究が報告されています。

日本の筆跡鑑定研究の祖

日本の筆跡鑑定の祖は、豊臣秀次から古筆の名字を与えられた「古筆了佐」です。

もう少し古い文献などにも筆跡鑑定人が何人か登場します・・が・・
「私には見えます・・筆者の顔が・・」など、何かに取り憑かれた方々だけでした。

この「古筆了佐」、本名を平澤範佐といい、戦国貴族の近衛前久より鑑定の伝授を受け、
豊臣秀次より鑑定書に押す「琴山の印」と「古筆の名字」を受けました。

古筆家は江戸時代を通じ古筆鑑定の権威として大変に栄えました。

古筆家自体は昭和の初めまで鑑定に関わり「平澤了任」が最後の当主となり廃業しています。

判定の方法は、現在民間で行われている鑑定方法と、ほとんど変わりません。

  1. 古筆家創設以前の伝承を踏襲する。
  2. 筆者が、他に筆跡を残している場合には、それと比較して筆者を特定する。
  3. 以上の方法で判断できない場合、有名歌人の名前を作者に仮定する。

具体的な検査方法は、まず初めに、大概・書風・墨色・紙質を検査します。
次に、外形・伝来・保存状態を見る。と、言うものでした。

この手法では、鑑定する側の各々の基準の違いにより、判定に違いが出てしまいます。
この鑑定人の違いによる判断のズレを、当主が「勘と経験」で補う、というものでした。

つまり、迷った時は「思い込み」で判定すると言うことですよね
(これじゃ、代々継承された名家も廃業になりますよねぇ~)

しかし、全て、いい加減な鑑定を実施していた訳ではありません。

もし、いい加減な鑑定を行い、それが周知に渡れば打ち首、お家断絶もある時代です。
何百年に渡る名家として君臨する為には、数々の科学的な試みも、されていました。

では、どのようにして真贋を見極めていたのでしょうか・・皆が納得する鑑定方法とは?

古筆家は、各作家ごとの「筆跡データベース」と、各時代・地域別の「紙データベース」を作り詳細に分析され、その結果を数名の学術会議を開催、解析されていました。

(彼らは、幼少の頃から歴史と理数科学を徹底的に教え込まれると書かれています)
(・・300年前の話ですよ・・ほんとに・・すごい話しですよねぇ~・・)

この一部が国立博物館に所蔵されています。 →こちら「手鑑藻塩草」

その他にも、投影機や今のメジャーなども作られ、平賀源内の著にも登場しています。

さらに、現在、民間鑑定で行われている「文字をスキャナで読み取って濃度を色調に変換し観察する方法」は、約300年も前の古筆家で実施されていた「書を光りに翳し墨の濃度観察する方法」を、そのまま利用した方法で、影響力の大きさが伺えます。

明治時代の筆跡鑑定

明治時代に入ると、裁判制度が確立され、裁判所で筆跡鑑定が実施されるようになりました。

この当時の鑑定人は名家である古筆家が中心となり鑑定書を提出するようになります。

しかし、この「古筆鑑定法」・・無理があります。
鑑定物は作家物から、契約書や遺言書など一般人の筆跡に大きく変化しました。
残念ながら、権威だけで、根拠がありません。・・作家別データも紙データも使えません。

すると、湧いてきますエセ鑑定人、隙をみせるとウジャウジャ出てきます。
「我こそは古来中国鑑定法を会得した者である」とか、
「我こそは、大経師の直弟子であり新鑑定法を開拓した者である」とか、
・・・(゜∇゜ ;)スッ・スゲー!博物館学芸員になれるどぉ~♪

当時の弁護士「播磨龍城」先生の著にも
「日当さえ貰えればという自称筆跡鑑定人が無制限にいて困る」と書かれ登場しています。

現在でも「筆跡鑑定」を「筆蹟鑑定」と書いたり、
江戸時代風の茶人や作家などの芸名を名乗りインチキ鑑定する輩が多いのは、
この古筆家の影響によるものなのです。

日本の近代筆跡鑑定研究

日本の警察では、大正後期、ヨーロッパに留学した
「金沢重威」先生が 日本の筆跡鑑定の草分けとされ、研究が開始されました。

金沢先生の助手を勤めていた、高村巌先生の著に、
昭和10年頃になると欧米法とは異なる漢字の鑑定方法を開拓出来た。と、書かれています。

昭和23年、科学捜査研究所が設置され、文書鑑定係が誕生しました。
※現在の警察庁「科学警察研究所」

時代は、大戦後の民主主義混乱期に突入、脅迫文書事件、失踪事件、捏造文書、偽造契約書、偽造遺言書など数々の文書事件が多発し、本格的に筆跡鑑定研究が開始しされました。

そして、研究者の目的は「高度で公平な科学的解析法」を目指す法科学鑑定へと躍進して行ったのです。

文書(筆跡)鑑定の研究は、現代の科警研/科捜研でも脈々と受け継がれ高度な進化を続けています。

筆跡鑑定人の世界では警察関係研究者が一番信頼度が高いと言われていますが、筆跡鑑定法も何種類も存在します。

筆跡鑑定人の力量が試されると言っても過言ではないようです。
当社では裁判等に対応する筆跡鑑定のみを取り扱っています。