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毒物に魅せられた伝説の毒殺魔 グレアム・ヤング 1947~1990

鉛や水銀よりも強力な毒性を持つタリウムを用いて
殺人を繰り返した毒殺魔がグレアム・ヤングです。

彼は、身綺麗でスマートな容姿、はしゃがず・物静か、抜群の化学知識を持つ10代の少年でした。
そして、彼の興味は、毒物が人体に与える影響について、でした。

彼は、12歳の時に初めて、薬局でアルモチン等の毒物を手に入れます。

そして、自分のペットや自分の親友に毒物を投与し、どのような症状を起こすか細かく観察していました。

14歳になると、仲の悪かった継母が原因不明で亡くなります。
(後日、ヤングが毒殺したとされています)
そして、父・姉・彼の親友にも少量の毒を投与するようになります。
しかし、ヤング本人も同様の症状を訴え、疑われる事は、ありませんでした。

そのような状況の中、ヤングの叔母がヤングの博学した化学知識と毒物知識を知り、ヤングを疑うようになります。

叔母は、精神科医に診察を受けることを勧め、ヤングは診察を受けることになります。
担当医は、ずば抜けた化学知識と毒物知識に驚き、褒め称え帰宅させます。
そして担当医は、そのまま警察へ連絡、ヤングは家宅捜索を受け、室内からアンチモンやタリウムなどの毒物が押収され、彼は逮捕されます。

そして、ヤングは父・姉・友人に対する殺人未遂として判決を受けます。
しかし、継母は火葬された為、分析解明の手段が無く、罪に問えませんでした。

その後、15年の受刑が決定し、精神犯が収監される病院に入ります。
そして、ヤングは模範囚として、9年間服役後、釈放されます。

しかし、ヤングの毒物への執着は消えていませんでした。
それどころか、収監中に図書館に通い詰め、化学・毒物・医学などの知識を増幅させて行きます。
さらに病院内で手に入る毒物を用いて、囚人や病院スタッフに人体実験も試みるよういなっていました。

最強の毒殺魔となってしまったヤングは写真工場へ就職します。
しかし、それは仮の姿、ヤングの本心は、毒物を手に入れる目的でした。

そして、手にした毒物を早速試し始めます。

工場内は、次々と同僚が体調不良に陥り、医師は食中毒が原因と誤診してしまいます。
その後、ヤングは約70人に毒を与え続けます。
そして3人が絶命しましたが、毒物を疑う者は居ませんでした。

工場内はパニックなり専属医に調査を依頼しました。
その結果、何らの伝染性のウイルスと、またも誤診を犯してします。

その専属医がヤングと話す機会があり、その化学知識と毒物知識に驚愕します。
そして専属医は、警察へ犯歴を求めると、ヤングの恐るべき前科を知り仰天することになります。

警察は、直ぐにヤングの家宅捜索を実施、様々な毒物と薬瓶や試験管などの検査機器が発見され押収されました。
さらに、同僚を実験台とした、一人一人の症状が細かく書き留められた毒物日記も押収されました。

裁判の結果、ヤングは終身刑を宣告されました。
今回は精神異常者を収監する施設ではなく、通常の刑務所に収監されました。
ヤングは、42歳時に刑務所内で死亡しました。
死因は心臓発作でした。

グレアム・ヤングを敬愛した日本の15歳女子高生の模倣犯

2005年 15歳の女子高生は、薬局で化学の実験に使うと言う名目で、猛毒である粉末の酢酸タリウムを購入しました。

彼女は、地域でも有数な進学校に通う成績優秀な女子高生、化学部に所属。化学、毒物に関する知識は非常に豊富でした。

中学の卒業文集では、「好きな芸能人」の欄に「有名人(あまり有名ではないかもしれないが)ならグレアム・ヤング」と、英国の最強の毒殺魔の名を挙げています。

彼女はペットのハムスターにアンチモンを少量ずつ投与し、徐々に衰退し死亡する様子を2週間に渡り記事にしていました。

その後、手に入れたタリウムを母親に少量ずつ投与し、衰弱していく母親の様子をブログに記述していました。
そして、母親が入院。

以前、妹が猫を毒殺した事を知る兄が母親の医師に相談しました。

その医師が警察に連絡、家宅捜索が実施され、彼女の自室から複数の毒物、分析機器医学書からナチス資料までが押収されました。

逮捕後、精神鑑定が実施され母親に対して憎しみはなく、純粋に科学的興味から母親に毒を投与したと証言し、極めて異例な毒物事件となりました。